10周年記念対談ブログ(1) 日高 保さん

おかげさまで、2012年4月に発足した鎌倉あそび基地(旧:梶原あそび基地)は、10周年を迎えました。
お世話になった方々や共に頑張ってきたスタッフとの対談をブログで連載し、これまでの団体の歩みをご紹介しつつ、次の10年に向けて団体の活動を応援してくださるパートナーを募集していきます。
よろしくお願いいたします。


私たち鎌倉あそび基地は、2012年から鎌倉市梶原子ども会館を市と協働運営していましたが、2016年に市が指定管理制度を導入し、私たちはプロポーザルで採択されず運営から退くことに。
4年間で一日あたりの来館者数は10倍となり、小学生だけでなく中学生の居場所としての役割を果たすようになってきていた矢先のことで、本当に悔しかったのを覚えています。
日高さんに出会ったのは、そんな失意の中でのことでした。

2022/07/06 『ふかふか』にて

 
水澤:今、朝の7時半です。朝早くからありがとうございます。
お忙しい日高さんのお時間をいただくとなると、もう、この時間しかないと言うことで、お言葉に甘えさせていただきました。

日高:おはようございます。いやいや、早い分には全く問題ないんで。そうだ、10周年おめでとうございます。いやあ、すごいですね。

水澤:ありがとうございます。日高さんに設計していただいたこの施設、『ふかふか』は、お陰様で6年目に入りました。
今日は、日高さんに出会ってから『ふかふか』ができるまでを振り返って、お話を伺えたらと思います。
日高さんを紹介してくれたのは、いま学童の英語の先生をしてくれている大海絵里佳さん。後から分かったことですが、当時お二人は「面識がある」というくらいだったそうですね?

日高:そうだったと思います。

水澤:彼女に、なんとか新しい施設構えて頑張りたいんだけど・・と話したら、「それならいい人がいるから!」と目の前で日高さんに電話して、私を日高さんの事務所に連れていってくれたんですよ。それで、日高さんに経緯を話したら、ほとんど躊躇せず「やりましょう」って。
え?まだ場所も見てないのに?お金も全然足りないのでは?と、本当に驚きました。そのまま一緒に現場を見に行ってくださいましたよね。
あの時、不安はなかったんですか?

日高:まあ、それまでの経験から何とかなるかなと思ったし、お金より自分が「やりたい」と思ったからというか。
今までもそうだったんですけど、建築って予算ありき。お金がある人もない人もいる。
でも、お金であきらめたくなかったんです。思いがあって、伝統工法に出会って、特に私のお客さんって若い人が多くて、その「思い」を汲みたい。情熱をもって、なんとかいけそうな金額なら、何とかしたい。
あの時は少ない予算に合わせて作った実績もあって、それはどういう作業かというと、何が自分にとって本当に大切かをよく考えていただいて、その中で項目を取捨選択していきました。
水澤さんが思いを持っているのが分かったし、「ここだね※」との付き合いがすでにあったからやりたいことのイメージもついたので、心から子どもたちのことをやろうっていう人たちの力になりたいと思った。そっちのほうが先に立ったかな。

水澤:フリースクール立ち上げるとは、当時言っていなかったと思うけど・・?

日高:自分の中にそういうところを作りたいという思いもあったんでしょうね。

水澤:すでに場所は目星をつけていて、地域の方に応援していただけるよう当時青少年指導員だった岡さんが町内会長さんを紹介してくれたり、当時主任児童委員だった矢澤智美さんに同行してもらって、大家さんの照男さんにご挨拶に行って事業内容を説明させてもらったりしていました。
そういう経緯があったので、まだ正式に契約していなかったのに不動産屋さんを介さず、大家の照男さんに直接現場の鍵開けをお願いして、日高さんに見てもらえたのでしたね。
現場を見てどう思いましたか?

日高:面白そうだ!と思った。割と早い段階でこの中に小屋を作ったら面白そうって。

水澤:「子どもは回遊するもんだ」って日高さんがいってたの、すごく印象に残ってます。

日高:自分の子どものころがそうだったし、終わりがないって面白い。
自分が一から建築するときも、回れる場所というのを常に考えているかな。

水澤:それから図面や模型を見るたび、日高さんに会うたび、どんどんスタッフの顔色が変わっていった。日高さんにはどんな風に見えていましたか?

日高:わくわくしてましたよね。どんなところにしたいかワークショップやろうって僕がいって、アイデアがどんどん出てきて。お金に制限があっても、人の力でなんとかなるといったら「それならできそう!」ってみなさんいってましたね。
それまでもたくさんの人を巻き込んでみんなが自分事にした経験があったんで。特にワークショップは、サラリーマン時代にコーポラティブハウスを手掛けたことがあって、その経験から提案したんです。まあ、どんな住宅でもとことん聞き出すわけですが。
過程を楽しむっていうところは、常々考えています。

水澤:現場で作業していると、いろんな人が日高さんの繋がりで来てくれて、その出会いも本当に面白かった。これも日高さんと一緒に建てる醍醐味ですよね。

日高:伝統工法って名前でいってますけれど、みんなで楽しくできて、その結果気持ちの良い場所ができるというのがいい。そう思ってます。

水澤:その後完成までの「過程」は以前書いた代表ブログにあるので、ぜひそちらをご覧いただくとして・・・。

たしか、施設の完成お披露目会の前日でしたよね。足場が取れて、柱に巻いた養生が取れたのは。夜20時くらいだったと思います。ホントひやひやしました。
そして、お披露目会当日。議員さんや地域のミニコミ誌の方なども含め100人以上の方が来てくださって、本当にびっくりしたのですが、実はびっくりしたのは大家さんの奥様も同じだったんです。あまりの賑わいに(この騒がしさには耐えられない)「無理かも・・」と、その日の夕方うちのスタッフにポロリ。
翌日慌てて「もうこんなことは二度とありませんから、やらせてください!!」と頭を下げにいったのでした。「大丈夫よ~ちょっと驚いちゃっただけだからごめんね。」と言ってくださって。

日高:そうだったんですか!!

水澤:あの時だけだなんて言ったけど、ふかふかの子どもたちはとにかく元気で、結局毎日ものすごく騒がしいはず。なのに、いつも温かく見守ってくださっています。
ふかふかにとって、照男さんと康子さんは、本当に感謝してもしきれない、大恩人です。

翌年から、ロッカーを設置したり、建具を入れたり、土間に床を張ったり、天井に防音のための板を張ったり。毎年少しずつ日高さんにお願いして手を加えて、ますます居心地の良い空間にしていただいています。
今後もずっとずっとお世話になると思いますが、引き続きどうぞよろしくお願いします。

まだまだお話を伺いたいですが、そろそろ現場に行かれる時間ですよね。
本日はありがとうございました。

日高:こちらこそ、いろいろ思い出して楽しかったです。ありがとうございました。

※ここだね(フリースクールここだね https://kokodane.org/
逗子市のフリースクール。主宰者の深沢夫妻とご家族とは、日高さんのご縁で作業のお手伝いに来てくれたことから知り合い、今もいろいろとお世話になっている。

日高 保さんプロフィール
きらくなたてものや 建築設計事務所主宰。
1970年6月生まれ。鎌倉市出身・在住。「気持の良い空間 楽しい暮らし」作りを追求し、建築設計活動に取り組む。日本の伝統的な建築工法を用いて現代の空間の表現を試み、主に地元の神奈川県下で、住宅、店舗等の木造建築の設計を手掛けている。家づくりの体験学習教室などの教育・文化活動にも力を注ぎ、むらづくり、まちづくりを視野に入れた活動も行っている。

  

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